『のだめカンタービレ』1巻【二ノ宮知子】「千秋先輩と衝撃のヴィエラ先生との出会い」 交響曲第5番「運命」。
あまりにも有名すぎて、あまりにもCMなどに使われすぎて、あまりにも滑稽にアレンジされたりしちゃってで、冒頭の「ジャジャジャジャーン」だけで、ほんっとーに噴出しそうになります。+不快になる。かつ、しんどいじゃないですか、あの重さ。だから聞かないでいたのですけど、この前、5月2日のN響アワーでスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮のものを聞いて、大好きになりました。
今まで、「ベートーベン? 好きじゃないなぁ」とか言ってた私を許してください。
なんて、美しい響き。美しいメロディ。ドラマティックな展開。極みに向かう重なり合う音の気持ちよさ。和音が好きだー!!
「運命はこう扉を叩くのだ」とベートーヴェン先生(先生……ってあんた……)は言って、冒頭の「ジャジャジャジャーン」を作ったそうですが……。前は(やりすぎだろ)とか思ってましたけどね。
んなことないです。むしろ、それをアレンジして滑稽にした奴ら、ベートーヴェン先生に謝れ! 今すぐ謝れ!! って感じですね……。(いや、多分愛してアレンジした人もいるとは思うんだけどね)
他の指揮者のものを聞いてみたりしましたが、やはりかなり違うんですね。私は速度の速いエネルギッシュなものが好きみたいです。「ジャジャジャジャーン、ジャジャジャジャーン」をたっぷりやられると、肩がおもーくなっちゃって、第2楽章では欠伸が出てしまいました。
私は基本的に第2楽章というのが、あまり好きじゃありません。大好きなドヴォルザークの9番(「新世界」より)だって、第2楽章だけ取り上げてるCDは、それだけでいやんなります。確かに親しみやすいメロディ、ウツクシイメロディ。だけど、それだけ聞いて何が楽しいんだ? と思うんっすよ。
だけどね、第5番の2楽章は大好きです。 いや、ベートーヴェン先生の第2楽章は好きです。ほんっとーに美しいんだもん。「あー、いいわー」って思えるんですよ。 ピアノ・ソナタもそうだったけど、ベートーヴェン先生の綺麗なメロディって、本当に大好き!
んでですね、第3楽章。あの、最初の静けさから入る「タタタターン、タタタターン、タタタターン、タラララ」というところのホルンがかっちょいい! いや、ホルンだからってわけじゃなくて、なんか切ないですよね。で、ぞくぞくする。
第4楽章への入りは最高です。第3楽章と第4楽章は繋げてるのかな? 繋げるパターンしか聞いたことないのかもしれませんが……。そのつながり、流れ、そして胸に溢れる響き。これこそまさに歓喜の歌!! もうね、初めて聞いたときは「いやったぁぁ!!」って叫んでしまいましたからね。未だに入った瞬間に「くー!」って思います。
本当に、感極まります。
ベートーヴェンが耳の病気にかかり、聞こえなくなる中作られたそうで。絶望からそれに打ち勝ち、喜びの歌へという流れだそうですけど、本当にそうだと思います。で、人というのはそういうのやはり好きなんだと思います。 美しい響きとかメロディはもちろんなんだけど、そう言うドラマが感じられる交響曲だから、人にずーっと愛され、いろんな風にアレンジされ、それでもなおこんなにも惹きつけるんだろうなと思います。
様々な思い、絶望とか諦めとか悲しみとか愛だとか苦悩だとか、そして、喜びだとか……、そういうものを全身全霊込められた作品は、音楽でも絵でも文章でもなんでも、人を惹きつけるんだろうなとしみじみと思いました。
交響曲は、人の生き様を描くんだなと思います。作曲者の思いが全て込められて、美しく響くんだと。いまさらながらにですけど、第5番を聞いてそういうのが本当に「そう」なんだと思えました。
(2004.05.16記)
この曲について語られたことばたち
(ヘルベルト・ブロムシュテット氏2016年に来日したときのインタビュー)
「運命交響曲」はドラマティックです。最初から最後までとてつもない意志の表現。約35分の強い意志表明です。ベートーベンは胆汁質(激しい気性や怒りっぽさ、行動的な性格のことらしい)の人間で意志が強く決然とした性格でした。荒々しいだけでなく、繊細で意思強固。そこに人々は惹かれるのでしょう。意志を避けることはできず、ベートーベンに腕をつかまれているようです。ベートーベンは音楽で自分自身を語りません。彼は悩み多き人で、聴力が衰え、作曲当時ほとんど聞こえませんでした。音楽家にとって恐ろしい運命ですが、彼は耳ではなく、頭で音楽を聴いて、作曲を続けたのです。でも決して自分自身の悩みを語らず、語るのは人類の運命です。最初はハ短調。音楽家にとっての運命の調。悲しみの調というだけでなく、運命の調、劇的な調性です。しかし、最後はハ長調になります。明るい勝利。問題は克服され、決着します。
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