『のだめカンタービレ』5巻【二ノ宮知子】で千秋先輩がヴィエラ先生とお別れするときに託された楽譜。それが『悲愴』。そして、千秋パパに千秋先輩がレッスンしてもらった曲。それがこれ。
私はチャイコフスキーが好きです。
初めて吹奏楽でチャイコフスキー・メドレーを吹いたときの、ピアノ協奏曲第1番の冒頭のホルンの響きのかっこよさに魅了されてから、この作曲家が好きになりました。有名なバレエ音楽も、繰り返し繰り返し聴いて、その楽しさに口元が緩むのを止められなかった。
1812年序曲のかっこよさも。ロミオトジュリエットの序曲の叙情的な歌い上げるようなメロディも。とてもとても好きです。
だから、この『悲愴』を聞いたときは、なんでこんなに苦しいんだろうなと思いました。
1楽章の美しさ、3楽章のかっこよさ。好きです。
だけど、「くるみ割り人形」をはじめとするバレエ音楽の楽しさしか知らなかった私のチャイコフスキーの印象とはうってかわった、胸のつぶれるようなメロディの第4楽章。
何度聞いても、胸が苦しくなって、涙が溢れてしまいます。
どうして、こんなに苦しいのか。
悲しいとか通り超えて、とにかく胸が苦しい。
嫌いではないです。でも、嬉しい気持ちを込めて好きだとはいえない。
でも、嫌いじゃないんですよ。心にはいつまでも残るんです。
とにかく苦しくて、でも、美しくて・・・・・・。
チャイコフスキーは何が悲しかったんだろう。
「のだめ」で千秋先輩のお父さんは、チャイコフスキーの「悲愴」をこう教えます。
「悲しいってストレートに弾いちゃだめだよ。チャイコフスキーは悲しくも誰にもいえなかったんだよ」と。
そして、交響曲は失意のそこに終わる。
盛り上がりも何もなしに。
え、終わったの? ってな感じで。
全然救われねぇ・・・・・・。
ずどーんと余韻を引きずってしまいます。
ので、あんまりエネルギーのないときは、4楽章、聞かないようにしてる曲でもあります。だってひきずられるんだもん。
とあるサイトの情報で、チャイコフスキーはこの初演の数日後に自殺したらしいです。それで「自殺交響曲」とか言われてるとか。
チャイコフスキーに何があったんだろう。
悲しくてもいえずに、ただこの曲にこめてしまったものってなんだったんだろう・・・・・・。
(2004.6.13記)
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