クラシック音楽館をいくつか撮りためていて、そろそろ消さなければならないので、内容を記録するとともに、感想なども残しておこうかと思います。
クラシック音楽館で好きなのは、リハーサル風景やそのときの指揮者の指示などに触れられたり、指揮者や奏者のインタビューなどが聞けることです。
それもちょっと残せたらなぁと思っています。
ベートーベン「ミサ・ソレムニス」
ドレスデン聖母教会復興コンサート
ベートーベン:ミサ・ソレムニス
指揮:ファビオ・ルイージ
管弦楽:ドレスデン国立管弦楽団
ソプラノ:カミッラ・ニールント
アルト:ビルギット・レンメルト
テノール:クリスティアン・エルスナー
バス:ルネ・パーペ
合唱:ドレスデン国立歌劇場合唱団
合唱指揮:マティアス・ブラウアー
2005年11月4,5日 会場:聖母教会
ベートーベンの作品の中でも、忘れてはならない傑作。音楽室でよく見るベートーベンの肖像画で、ベートーベンがしっかりと握りしめている楽譜がその作品、「ミサ・ソレムニス」です。
第九とほぼ同時期に作曲され、第九を超える規模を持つ壮大な作品。
「私の書いた最大の作品である」自らこう言ったという「ミサ・ソレムニス」演奏される機会のすくない隠れた傑作を全曲ノーカットでお送りします。
「ミサ・ソレムニス」の自筆譜。ベートーベンは冒頭にこう記しました。
「心から出で 願わくは心に至らんことを」
ベートーベンの心から生まれた作品。一体誰の心にあてられたものだったのでしょうか。
「ミサ・ソレムニス」が献呈されたのは、オーストリア皇帝の弟ルドルフ大公です。ベートーベンから音楽を習い、ピアノ協奏曲「皇帝」を初演した人物と言われています。ルドルフ大公は新しい表現に挑み続けたベートーベンの一番の理解者。「皇帝」だけでなく、三重奏曲の「大公」などたくさんの曲を献呈されています。
1819年大公がチェコの宗教都市オロモウツの大司教になるというニュースが飛び込んできます。ベートーベンは大公の晴れの日のために特別なミサ曲を書こうと思い立ちました。
「殿下のご就任に私の作曲するミサ曲の演奏が許されればわが人生で最良の日でしょう」
ベートーベンは並々ならぬ意気込みで新しいミサ曲に挑みます。
14世紀に成立したミサ曲は教会の儀式のための曲で
1 キリエ 憐みの賛歌
2 グロリエ 栄光の賛歌
3 クレド 信仰宣言
4 サンクトゥス 感謝の賛歌
5 アニュス・デイ 平和の賛歌
5つの章からなります。歌詞にも必ずラテン語の典礼文が使われます。曲の構成や歌詞に厳格な決まりがある中で、ベートーベンは過去に例のない新しいミサ曲を作りました。
「ミサ・ソレムニス」はベートーベンの最高傑作だという指揮者の高関健さん。ベートーベンのミサ曲への取り組みはバッハやモーツァルトとは異なるといいます。
高関健氏
ベートーベンが敬虔なクリスチャンであったということは、いろんな資料を読んでも確かなのですが、特にこの作品について言えば、その信仰の気持ちを表すというよりは、テキストを読んで自分がどういう気持ちになったかということを表現することに集中している。その自分がどう思うかということを書くこと自体がベートーベンの基本的な姿勢だとは思っていますが、それを最大限に発揮している
ミサ曲は神に捧げる音楽。感情的で生生しい表現を避けることが通例でした。ベートーベンはその慣習を破り、感情表現が豊かでドラマチックなミサ曲を書いたのです。それがよく表れているのがキリストの生涯を描いた「クレド」。キリスト受難の瞬間です。
「♪われらのために十字架にかけられた」
高関健氏
十字架にかけられてというところでは、いかにも、痛みを思い出させるような厳しいものを抱えていますし、これだけ直接的で、聴いているものにはかなりの感動をもたらすのですけど、そういった表現は簡単にはできないと思います。それがすごくよく出ているし、だからこそベートーベンの最高傑作といっていいのだと。表現できるすべてをこの作品に持ち込んでいると私は考えています。
ベートーベンが創意工夫を重ねて挑んだ新しいミサ曲。しかし、ルドルフ大公の就任式には間に合いませんでした。作品の規模が大きく、持病が悪化し、多くの時間を要したからです。大公のもとに楽譜が届けられたのは就任式から3年後のことでした。
自筆譜にはベートーベンの創作の苦悩が刻まれています。「アニュス・デイ」最後の部分。ティンパニのパートを中心に穴が開くほど繰り返し悩み書き直した跡があります。ここには彼が伝えたかったあるメッセージが潜んでいます。
「アニュス・デイ」は一般に平和を祈る穏やかな音楽。しかしベートーベンはそこにまったく異質な表現を取り入れました。
「♪われらに平安を与えたまえ」
高関健氏
平和なメロディが流れるんですが、その後突如戦争を表しているのではないかなという部分があります。Adurで解決した後、ティンパニがいきなり出てくるんですね。そのあとトランペットが出てきて、戦争が近づいているという表現を
ベートーベンが生きていたのは常に戦争が身近にあった時代。いつ平和が訪れるのか。ベートーベンは思案の末、平安の祈りの歌を戦いのティンパニが何度も脅かすという表現でミサ曲を締めくくったのです。
高関健氏
平和が訪れてよかったなぁと思ったところ、一番最後に一度だけティンパニが出てきます。ティンパニが音程としては全く合わない音で出てきます。これが遠くでまた戦争が起こるんでは二かと。それに対して収まってほしい。人間に対して平和じゃないといけないんだよということを言うということは、ベートーベンの戦争に対する恐怖というか、人間の平和というのは簡単に成し遂げられないんだぞというそういった気持ちも入っているかもしれませんね。
ベートーベンは自分の音楽にメッセージを込め、多くの方に届けたいと思っていました。「ミサ・ソレムニス」もミサのための宗教音楽という範疇に収まらず、平和への思いや理想を世の人に伝える作品となったのです。
教会だけで収まる作品ではないということを、ベートーベンは明らかに意識していたと思うんですね。すべての人々にわかってもらいたいという気持ちがあって、現代の私たち、民族が違っても時代が違っても、それは変わらないという風にとらえて差し支えないと思いますね。
感想
ミサ・ソレムニスは一度生で聴きに行ったことがあります。もちろん演奏は素晴らしかったのですが、その曲や演奏が、というより、その曲を聴きに行った状況を思い出すと、なんというか、非常に個人的な事情ですが、人生において一番ほろ苦いような微妙な感傷を思い出すので、その後ずっと聞くのを避けていた曲ではあります。(これですね。2009年の演奏会)
ルイージ氏が若い…(そりゃ19年も前か)。
さて、やはり「とんでもないものを聴いている」という気分に初っ端からなる曲でした。録画を削除するために聞いているのに、これもまた保存版だなと思わせられます。こういう曲を聴くたびに「私がキリスト教ならもっと違う何かを感じたかもしれない」という思いは強くなります。それは一生経験できない感傷だろうなとも。
今回、この番組で作曲の背景を知ることで、また、それはそれで違う感傷を得ることができたなと思いました。特に終曲の平和への祈り。2024年現在、終わってほしい争いが終わらず、どんどんきな臭くなってくる世の中で、ベートーベンの祈りを聴いて、本当に人間が平和を築くのは非常に難しいんだと思います。平和を祈ることが許されるだけ、まだましなのかもしれません。
DVD売ってました。
ベートーヴェン(1770-1827) 荘厳ミサ曲 ルイージ&シュターツカペレ・ドレスデン|HMV&BOOKS online
https://www.hmv.co.jp/product/detail/1385346
でも、今は中古でないと手に入らないかな。
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