クラシック音楽館 2021年4月18日(日)放送

クラシック音楽館をいくつか撮りためていて、そろそろ消さなければならないので、内容を記録するとともに、感想なども残しておこうかと思います。
クラシック音楽館で好きなのは、リハーサル風景やそのときの指揮者の指示などに触れられたり、指揮者や奏者のインタビューなどが聞けることです。
それもちょっと残せたらなぁと思っています。

ストラヴィンスキーとはなにものか?尾上右近が見た先鋭の作曲家

バレエ音楽「春の祭典」オーケストラの力量が試される曲として世界中で演奏されている。初演は音楽史に残る大事件だったという。

20世紀最大のスキャンダラスな問題作。作曲したのはイーゴリ・ストラヴィンスキーという男。これまでのバレエの常識を覆す革新的な音楽を次々と生み出した。

今夜は今年(2021年)没後50周年を迎えるストラヴィンスキーを特集。

尾上右近氏は2015年に日本舞踊で踊る春の祭典に挑んだ。立ちはだかったのは複雑な音楽。以来一つの問いが頭にこびりついている。一体ストラヴィンスキーとは何者なのか。

※今回は残すのが大変なので、気になった言葉だけ記録してこうかなと思います。

(尾上氏)(フルオーケストラで春の祭典を踊ったけど)かえってクラシックに普段なじみがなかったのがよかったかなと。

(広上氏)僕、不得意なんですよ、ストラヴィンスキー。失敗ばかりしている。春の祭典いい思い出がなくて。27歳ぐらいのときに初めてこの曲を指揮したんですけど、途中でわかんなくなっちゃってね。難しいんですよ。拍子が変わっちゃってね。それから3回4回リベンジしたけど、なんとかやれるようになったのが40過ぎ。

ストラヴィンスキーの父親はオペラ歌手。最初は法学部に入学して、でもいやになって、リムスキー・コルサコフを訪ねて行って、弟子になった。20代後半で運命を変える出会いがあった。興行師のセルゲイ・ディアギレフ。この二人の出会いが音楽の歴史を大きく変えた。

(片山氏)ディアギレフという人はリムスキー・コルサコフのお弟子さんで、音楽の勉強をしていた人なんだけど、どちらかというとプロデュース能力に才能を見出していた。ロシア・バレエ団というのを作って、バレエというのは総合芸術なんだって、そして若い作曲家でバレエ音楽を作れる人を探していた。

(片山氏)「花火」でディアギレフはストラヴィンスキーは奇想天外なことをするということを見抜いたんじゃないかな。何度も何度も同じことを繰り返すんだけど、飽きないリズムと飽きない和声を入れて、からみあわせて、いかようにも動く音楽を作り出した。バレエ団にとって面白いことになると才能を見抜いたということになります。

ストラヴィンスキー:幻想曲「花火」


指揮:アレクサンドル・ヴェルデルニコフ
管弦楽:NHK交響楽団


2016年10月15日(土) 会場:NHKホール

(広上氏)天才は天才を見つけるという言葉があると思うんです。自分でも気づかなかった素質をなんかの形で見出してくれる人がディアギレフだったのではと思います。

(尾上氏)文化を伝えるということは人をつくるということなんだなと思っています。

ストラヴィンスキーとディアギレフ。二人の才能がスパークした場所は花の都・パリだった。20世紀初頭のパリは「ベル・エポック」と呼ばれ、ヨーロッパの文化の中心だった。新しい美術運動アール・ヌーヴォーが花開き、人々は今までにない何かを求めていた。

(片山氏)19世紀終わりから20世紀初め、まさにディアギレフがロシアバレエ団でヨーロッパの芸術面を支配していくとき、新しいものが求められていた。経済も科学文明も機械化も商業も発達していった。今までの人間の考え方が変わっていった。新しい刺激が求められていた。

(広上氏)ディアギレフとストラヴィンスキーのコンビが刺激となっていった。

1910年パリに最初の「インパクト」を与えた。それはこれまでにないバレエ「火の鳥」だった。祖国ロシアの民話を題材に、斬新な振り付け鮮やかな衣装や舞台衣装。なにより強烈なリズムと響きを持つストラヴィンスキーの音楽に、パリの聴衆は衝撃を受けた。

(片山氏)「火の鳥」ってフランス人好みのおとぎ話バレエですよ。だけども、非常にロシア的な芸術的な野蛮な踊りがあってエキゾチックがあって、自分たちの想像を超えた刺激がある。パリに足りてない野性的な新しい現代のエネルギーのようなものがあった。ドビュッシーやラヴェルも「火の鳥」を絶賛。たちまち若いストラヴィンスキーがパリ社交界の寵児となった。

ストラヴィンスキーがリハーサルに参加したときのエピソード

彼が「あやしげな騒ぎ」と呼んでいるところからリハーサルがスタートしたが、最初の数小節を聴いただけで踊り手たちが慌てた。メロディがないし、今までに踊っていた音楽とはまったく違う。音楽とは言えないという踊り手がいた。ストラヴィンスキーはいつも稽古につきあってテンポとリズムを指示した。時にはそのパッセージをピアノで弾いて聞かせたりした。踊り手に言わせるとピアノが壊れるかと思ったそうだ。彼は興奮してくると大音響でピアノを叩き、自分でも声で音をなぞり、指がどのキーに落ちようとも気にしなかった。ストラヴィンスキーの爆音はみんなに伝染した。

(尾上氏)芸術って狂気と正気が入り乱れたようなところがあるなぁと思いますね。

(広上氏)僕はね三部作の中では、「火の鳥」が好きなんですよ。自分の感性にすんなり入れるんですけどね。バレリーナからすると初めて聞いたとき、すごく描写が写実的なんですよね、当時、チャイコフスキーの白鳥の湖とはちがった異質さに戸惑ったと思いますね。

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)


指揮:クラウディオ・アバド
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


1994年10月14日(金) 会場:サントリーホール

「火の鳥」の大成功で時代の寵児となった二人。二人はさらに前衛的で実験的な聴衆に投下します。バレエ「春の祭典」。のちに20世紀最大の問題作と言われる作品。舞台はいにしえのロシア。春を迎える儀式で少女が神の生贄になり、死ぬまで踊り続けるというもの。美しさを大切にしてきたバレエとは全く異なる、いわば異質(グロテスク)な世界観。それまで誰も見たことのない、まさにあり得ない作品だった。

(広上氏)とんでもないよね「(片山氏)とんでもないです!」

(片山氏)火の鳥を作曲した途中でストラヴィンスキーが異常な精神状態になってたんでしょうね。夢というか幻覚というか。ビジョンを見てしまったんですね。キリスト教が入ってくる前のロシアですね。異教時代のイメージで、生贄人柱、少女を捧げる。死体のなかで少女がトランス状態になって踊り狂って死ぬという。それがバレエになるだろうと。ディアギレフに言ったら「面白い」って。「次はそれやる!」って

ストラヴィンスキー自ら発案した「春の祭典」。彼の生み出した音楽もまた常識を超えたものだった。人類が初めて耳にする音。客席は次第にざわつき始めた。怒号と称賛。演奏会は大混乱に終わった。歴史に刻まれた春の祭典の初演。新しいものに寛容なパリの観客の度肝を抜き、スキャンダラスな作品となった。

(広上氏)ディアギレフ自身は、そういう風になることを予想したんじゃないですかね。それぐらい面白がってたんじゃないかな。興行師というのはそれぐらい先を見てないとね。賛成派も反対派も興味があるから騒ぐんでしょ。一番人間として厳しいのは無視されることだから。騒いでいるってことは相手にされているってことですよね。

(片山氏)客席の反応も含めて「興行」だったんですよ。

「春の祭典」を踊って私が一番感じたこと。それは、ストラヴィンスキーの音楽から放射される圧倒的な感情のエネルギー。一体どこから来たものなのか。

(尾上氏)何か破壊と再生というものを非常に感じたんですよね。怒りみたいなもの、このままじゃいけないという気持ちが破壊して、さらにエネルギーを生むというようなものを感じたんですよね。

(広上氏)ああいう爆発的なものとかパンクなエネルギーって、常に新しいものを欲するとかストイックじゃないとできないし、指揮するエネルギー、踊るエネルギー、感じ取るエネルギー、計算できる、頭がいい。例えば「いけにえの踊り」の最後とか、11/16とか3/16、5/16とか、これ全部数字で変わるんですが、よく目を通しているとすべて公式があるんですよ。でたらめではないんですよ。でも、私は、それを15年ぐらいかけてやっと気づいたんです。ようは全部そういう計算なんです。彼はそれをにやっと笑いながら計算して書いているんですよね。

(尾上氏)秩序がない、無秩序に見えて秩序があるってのが面白いですね。型を知ってて破るから「型破り」。型を知らないでやったら「型なし」だって、僕らの世界では言われるんですけど、そういうところもつながるなぁと思いました。

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」


指揮:エサ・ペッカ・サロネン
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団


2020年1月23日(木) 会場:東京芸術劇場コンサートホール

革新的な音楽を生み出したストラヴィンスキーは88年の生涯で数々の名言を残している(というか写真がかっこええな)

「芸術は監督され、制限され、加工される事が多ければ多いほど、自由になる。」

(中野氏)制限されるほど自由って、逆説的ですよね。逆説を言うときって、人は自分の知性を見せたい、アピールしたいという気持ちが強い人なのかなぁと思います。外国人としてパリにきて、力をアピールしなきゃという焦りもあったのかもですね。

(尾上氏)制限されることでみつかる自由さというのは、歌舞伎役者でも感じることで、制限をくぐり抜けたときに広がりがあるってことを感じたりするので、シンパシーを感じます。

(広上氏)僕は普通にひねくれているという気も(笑)皮肉ですよね。誤解を受けるようなことをあえて言って、本当の気持ちがわかる?と言っているような気もしますね。

(中野氏)ナルシスト的な面も感じますよね。みんなを驚かせるようなことをして注目されたいという気持ちがありそうですね。

(尾上氏)メッセージ性を持っている人って、その純粋性を守るためにひねくれているような。防衛本能のようなものがあるなぁと感じます。

「二流のアーティストは借りる。一流のアーティストは盗む。」

(中野氏)キャッチーな対比を作ってますよね。二流と思った人に盗まれたという経験があったのかもしれない。自分も借りて作ったということがあったのかもしれない。やや後ろめたさを感じているのかも。盗むというのはいい意味でつかってますよね。先人たちの蓄積があった時代、それらを自分が”盗んで”音楽を作っているんだという自負も感じますよね。

(尾上氏)僕らも役を、型を、教えていただく世界なので、私の曽祖父なんかも「俺の皮ばっかり盗むからよくないんだ、肉ごと持っていきゃいいのに」なんて言ってたというのを聴いて、なるほどなぁと。やってることだけを真似するんじゃなくて、なんでそうやってるかというのを理解して真似をしろということかと聴いたことがあって。そういう意味で一流と二流の違いを言い分けているのかなと感じる一言ですね。

「何かを創造するには、心を突き動かす力が必要だ。心を突き動かす力のうちで、愛に勝るものがあるだろうか」

(中野氏)随分モテる人だったという話がありますけれども、恋愛に惑溺する時の脳内麻薬と言われる神経伝達物質が分泌がでている状態なのですけども、音楽を聴いている時でも脳内麻薬的なものが分泌されていることが分かったんですね。作曲される方ですから、その楽しみを知っているかどうかは音楽家としての能力として違ってしまうものなのかなと思うんですね。自分はそれを知っているということを言いたい気持ちがあったのではと思います。

(広上氏)おそらく異性に対する特別な思いというのはずっと持っていただろうし、そういう気持ちがないと創作活動というのはできないですし。そういうものの裏返しな言い方のように思いますね。

(中野氏)女性はこういう男性が好きなんですよね。時には自信過剰で、自分の能力が高いことを自覚していて…

(広上氏)その逆はダメですか

(中野氏)その逆はわりと酸いも甘いも知った女性には人気があるんですけど…。

(広上氏)どういうところがですが?

(尾上氏)若干広上さんが脱線しております。ご自分のお悩み相談のような(笑)

恋愛に関しては情熱的だったといわれるストラヴィンスキー。20世紀を代表するファッションデザイナー、ココ・シャネルとも親密な関係にあったとか。

(中野氏)創作意欲と恋の関係なんですけど、新規探索性と言われる性質が人間にあるんですね。今までやってきたことに飽きてきた、新しいものを作り出したいという欲求ですね。強い人と弱い人がいるんですよ。その強い人というのがドーパミンがどんどんほしくて、新しいものをどんどん作りたくて、新しい刺激も欲しい。異性に対して、恋の対象に対してそういう気持ちが強くなるんですね。今いるパートナーに満足して、申し分ないと思っているんだけど、それでも新しい人と恋をしたいという気持ちが大きくなってしまうことがあるんですね。創作意欲の高い人だと…。ストラヴィンスキーもそういう人だったかもしれないですね。

(尾上氏)結局何かをなしとげたという方は情熱家で、恋においても情熱家でいらっしゃって、そこが相反するということはなかなかないので、エネルギーに満ちあふれた人だからこそ、ナルシストだったり自己愛にあふれているということがあると思うんですけど、そもそも、何か戦っているからこそ出てくる言葉だし、それがストラヴィンスキーの人間力だなと思うし、その人間力が表現の上で人をひきつける力につながっているんだなということに刺激をうけました。

ストラヴィンスキー:「ペトルーシカ」からの3楽章


ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ


2013年7月 場所:ザクロヴァー・ヴァルト(ドイツ)

1959年4月。ストラヴィンスキーが初めて日本を訪れた。若い頃から日本に興味を持っていたというストラヴィンスキー。約1か月の滞在で日本の文化や芸術に触れて回った。

(尾上氏)日本人は当時のストラヴィンスキーをどういう風にとらえていたんですか?

(片山氏)なんといってもクラシック音楽の作曲家の一人というか、日本の普通のクラシックファンとかじゃなくても知っている大有名人だったんです。そんな人が初めて日本にやってくると。しかも、作曲家というだけでなく、指揮をしにきていますからね。滞在中は歌舞伎に行くとか、勧進帳をやっているときだったので、見たいものが見れたのではと思いますね。

(広上氏)一つすごいことをされているんですが、国際的な作曲家になられた武満徹先生という素晴らしい作曲家がおられるんですが、彼を見出したのはストラヴィンスキー先生ですね。ストラヴィンスキーが来日されているうちに「弦楽のためのレクイエム」という作品が目に留まって、すごい才能を持っていると。それまで武満先生の音楽が評論家から「音楽以前である」とか、このような気持ち悪い音楽は音楽ではないとか、それこそストラヴィンスキーが「春の祭典」でののしられたような評価を受けていて、ストラヴィンスキー先生がいらっしゃって、この素晴らしい才能は誰だと言ったことから一躍評価が逆になっていくんですね。こけおろしていた評論家は全員絶賛し始めるんですね。彼が来日しなければ、武満徹という日本を代表する作曲家は生まれてなかったかもしれないですね。これこそ、偉人こそが偉人を見抜くということかなと。まさに素晴らしいエピソードかと。

ストラヴィンスキー:「火の鳥」


指揮:ストラヴィンスキー(当時76歳)
管弦楽:NHK交響楽団


1959年 第2回大阪国際フェスティバル

(広上氏)一番すごいなと思うのは、後進の作曲家がですね「ここまでやっていいんだったら、新しいことをやってみよう」と実験工房のようなものが出来上がっていったんですね。

(片山氏)ストラヴィンスキーという方は、クラシック音楽の完成者というか、一つの終点にいる人で、そこから没後50年、春の祭典から100年経ったところで、この後ろに誰がいたんだろうと思ったときに、あの人がいたあの人がいたとはならない。そういう意味でクラシック音楽の一つの”極まり”ですね。その大きさというのを改めて感じますね。

感想

バレエ組曲「火の鳥」

私も「火の鳥」が一番好きです。他の曲よりも、メロディがわかりやすいと思いますし、前にNHK交響楽団のドラクエコンサートで演奏されたときも、ゲーム音楽のように物語性を持っているし、ドラマチックだし、ゴージャスだし、最後のフィナーレのときはいつも花火が見えるような気持になりますもんね。

今回の演奏はベルリンフィルとアバド氏の演奏だったので、とってもとっても贅沢な響きでした。

「終曲」の冒頭のホルンソロはやっぱり素敵。これは一度は吹いてみたいなぁと思って、吹奏楽で演奏機会をうかがっていますが、相当難しい曲らしいです……。

そして、終曲はやはり花火がバンバンあがってましたね。あれ?でもこんなあっさりだっけ?もっとしつこくなかったっけ?と思いました。

1919年版?ということで調べると1911年版と1919年版があるらしく、1919年版の方がよく演奏されているそうです。1911年版の方は「カスチェイ」で終わってるとのこと。

バレエ音楽「春の祭典」

サロネン氏をカテゴリー登録するの初めてでびっくりした。それはさておき、この曲も結構好きです。意味わからないけど、美しさをとても感じるし、どこか遠い昔の土と森のにおいの強い日本を感じるなぁと思います。

本当、これはずっと体がぞわぞわしていました。

無茶苦茶ではない。狂気も美しさもある。よくわからない拍子の継続に聴こえても、ちゃんと何もはみ出してもなくめちゃくちゃでもない。規則的でないけど規則的でもある躍動感が、人の生きざまというか生命に近いんだろうなぁみたいにも思えたりして。

ホルンやトランペットがベルアップしてたなぁ。

サロネン氏とフィルハーモニア管弦楽団の「春の祭典」、繰り返し聞いてみたいとCDを探してみました。フィルハーモニア管弦楽団のは見つからなかったけど、サロネン氏の指揮のはありましたので、またじっくり聞いてみたいです。

「ペトルーシカ」

のだめを思い出しますね…。ピアノのタッチって多彩なんだなぁというのをすごく感じる演奏でした。指の硬さを変えることができるのかなぁなんて思うぐらいに。

番組の感想

尾上右近さんって、すごく賢い方なんだなって興味がわきました。ストラヴィンスキーの言葉の解釈とか、すごくしっくりきたし、それを伝えてくれる言葉がとても分かりやすかったです。

片山氏がクラシック音楽の一つの”極まり”とおっしゃったけど、先日のNHK交響楽団のドラクエコンサートで、ゲーム音楽というのがクラシック音楽のように扱われつつあることを感じると、その後に続くのは「すぎやまこういち」氏だったかなぁなんておもっちゃったりしてね。すぎやまこういち氏は、ストラヴィンスキーの「火の鳥」に衝撃を受けたというし、手塚治虫氏も「火の鳥」には影響を受けているし、日本の文化を作ったエッセンスにストラヴィンスキー氏がいるんだなと思ったりもします。だから、響きがとても日本の文化に近いと感じるのかもしれません。

N響とストラヴィンスキーの共演の音源ってこれじゃない?Spotifyにあった!

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