クラシック音楽館 2022年4月10日(日)放送

クラシック音楽館をいくつか撮りためていて、そろそろ消さなければならないので、内容を記録するとともに、感想なども残しておこうかと思います。
クラシック音楽館で好きなのは、リハーサル風景やそのときの指揮者の指示などに触れられたり、指揮者や奏者のインタビューなどが聞けることです。
それもちょっと残せたらなぁと思っています。

N響演奏会 

NHK交響楽団 第1952回定期演奏会

ストラヴィンスキー:組曲「プルチネッラ」
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシカ」(1947年版)


指揮:鈴木雅明
管弦楽:NHK交響楽団


2022年2月11日(金) 会場:東京芸術劇場

鈴木雅明氏は1990年にバッハ・コレギウム・ジャパンを創設。バッハ演奏の第一人者として世界の古楽界をリードしてきました。近年ではモダン楽器オーケストラの指揮者としても国内外で活躍しています。

鈴木雅明氏 インタビュー

(組曲「プルチネッラ」)
ストラヴィンスキーはバロックないし古典派の時代の作品を、現代の価値観にうつして自分なりのセンスを加えて演奏していたと。ストラヴィンスキーはデフォルメしたいというような思いではなくて、むしろその音楽の素晴らしいキャラクターを20世紀の人に伝えたいという思いで書いたんだと思うんですね。不自然にデフォルメするんではなくて、音楽的なキャラクターを強調すると。ただ一つそのときに興味深い視点があって、私は音楽的キュビスムって言ってるんですけど、ちょうどピカソがプルチネッラの初演の時に一緒に仕事をしているんですけど、そのピカソのように、ピカソの場合は顔のこちらとこちらが同時に見えるというようなねキュビスムのスタイルがあるんだけど、音楽の場合は、ドミナントとトニックという本来ならば同時に鳴ることがあってはならない和音が同時に鳴ると、そういうことによって、調性の中にあるのに、キュビスム的にデフォルメするという価値観があったと思います。それがとても興味深くて。例えばガボットなんか特に非常に典型的なバロックのガボットのように見えるけど、いろんなパートが本来出してはいけない音を出しているということがよくあるんですよ。そういうことによって和音の重なりが興味深いと思います。それがストラヴィンスキー的なモダニズムと言ってもいいかもしれないし、キュビスムと言ってもいいかもしれません。

(20世紀以降のバロック古典へのアプローチ)
20世紀の作曲家は多くは、バルトークにしてもヒンデミットにしても、昔の作品、バロックの音楽とか古典派の音楽とかには興味を持っていたと思うし、どうやって現代に価値を共有しようかという思いは常にあったと思います。私たちが今古楽器を用いてバロックを演奏するとかそういう発想はストラヴィンスキーの時代にはムーブメントはありましたけど、一般的ではなかったけど、バロック音楽の精神を今の我々がわかるようにどうやって翻訳しようかという興味と努力はあって、それはとても価値があるものだと思いますね。古楽器でもってあたかも当時のバロック時代の響きが再現できているかのような錯覚に陥ることはあるんですけど、もちろん楽器を当時のものにしたというのはそれはそれで根本的な違いをもたらすのですけども、演奏するのも聴くのも現代の人間なので、バロックの時代のどのエッセンスを今に持ってくるのかという議論になってくると思うんですよね。古楽器を用いて演奏したからと言って、バッハが当時聞いた通りの響きだなんてことは絶対にありえないわけですよ。だけど、古楽器を用いて、例えばピアノではなくてチェンバロで弾いたときにわかるような音楽的な価値というのはあり得るし、ピアノでも別の価値があるし、そこは多様性の一つだと思います。
ストラヴィンスキーの眼鏡を通してみたときに、イタリアの音楽はこういうことなんだなというのがわかってくる。我々はいろんな多様性の価値を持って、いろんな側面を味わえるのは大変幸せなことだと思いますね。

(バレエ音楽「ペトルーシカ」)
興味深いのは、ピアノのソロを中心に最初は発想されたと思うんですが、いろんな楽器のソロが入れ替わり立ち代わり出てきて非常に魅力的な曲だと思います。設定を考えてみると、ペトルーシカというのはペーターの愛称のようなものなんですけど、それとバレリーナが出てきて、ムーア人というのが出てきます。ムーア人というのはバロック時代にはいろんなオペラヤバレエに出てくる、エキゾチックな存在として取り上げられてきた人です。今日的な視点では必ずそういう人を出してくるのが多少差別的であって、僕は気になってはいるんですが。ストラヴィンスキーが差別的な価値観を持っていたとは思わないのですが、それよりもバレリーナが3拍子で踊るところでムーア人が3拍子で踊れなくて2拍子で踊ってしまうような、非常に奇妙な複合リズムが出てくるんです。それなんかは今の視点で考えてみると、ムーア人がヨーロッパ人の価値観に取り込まれないで、独自の価値を主張しているという積極的な価値もくみ取れるから、そういうのも面白いですね。
象徴的な要素もあって、ペトルーシカのテーマがいろんな楽器が出てくるんですけど、そのテーマが出てくるときはハ長調と嬰ヘ長調とが同時に鳴るんですよ。つまり、最も遠い調性が同時に鳴ることで2面性を象徴しているのかもしれない。これが2面性ということになると、いわゆる二つの顔を持った神ヤヌスとよばれるんですけど、ヤヌス(Janus)というのはJanuaryの語源になったわけですが、1月いうことなんです。つまり物事の始めを司るんです。2つの顔が過去と未来とを見ているというそういう象徴的な意味が込められている。ペトルーシカというのはそういう存在になっている。ストラヴィンスキーの自伝の中で彼自身が書いていることで興味深いのは、人間は音楽を通してでないと「現在」を認識することができないんだと。人間は過去と未来についていつも煩わされているんだけど、実は私たちは「現在」しか生きられない。「現在」を正しく認識できることができない。それを唯一できるのは、音楽と通してなんだということを書いているんですね。ヤヌスの顔は一つは未来、一つは過去を見ていて、ストラヴィンスキー自体は現在というどちらでもないものを意識してたんではないかと僕は思うんです。そういう象徴的な存在がペトルーシカなんですね。

個人的に確認した奏者

コンマス 篠崎史紀
ヴァイオリン 森田昌弘
チェロ 辻本 玲
フルート 甲斐雅之
オーボエ 青山聖樹/池田昭子
ファゴット 宇賀神広宣
クラリネット 伊藤 圭
ホルン 今井仁志/勝俣 泰
トランペット 長谷川智之

感想

ストラヴィンスキー:組曲「プルチネッラ」

以前は「バロック風の小品集」という印象しかなかったのですが、鈴木氏の解説を聴いてから改めて聴くと、ぐっと興味深く感じられました。思ってたよりもシャープに聞こえて、とても楽しい演奏だったと思います。

この曲、オーボエがかなり肝かな。青木さんの艶やかなオーボエの音色が印象的でした。今はN響にいらっしゃらないのが残念です。
ホルンの響きもとても素敵でした。今井さんのソロは本当に美しく、ホルンは一本なのに厚みを感じて、これが「倍音」ってやつかなと思える美しさでした。さらに2本のホルンが重なる場面は格別の響きです。

ヴィーヴォに入ったってから、20世紀的響きに移ったようでわくわくしました。メヌエットが私の知ってる感じのメヌエットではない(笑)そして、終曲はふと『火の鳥』を思わせる瞬間がありました。ストラヴィンスキーらしさがあるなぁとなんとなく思いました。面白い曲だなぁと思いました。

バレエ音楽「ペトルーシカ」

鈴木氏の解説は面白すぎる。ヤヌス。人間は音楽を通してでないと「現在」を認識することができない。人間は過去と未来についていつも煩わされているんだけど、実は私たちは「現在」しか生きられない。ストラヴィンスキーの自伝、読んでみたい。

冒頭からまさに「ストラヴィンスキーの響き」。一瞬で「好き!」と思わせる独特のサウンド。平和に進行できる時間はほんの一瞬で、すぐに多層的で複雑な音の世界に巻き込まれます。いくつもの異なる音楽が同時に進んでいるようで、「どうやってこんな曲を書けるの?」と笑ってしまうほど。

それでも演奏は見事に整理されていて、聴き手は混乱せずに音楽に浸ることができます。こんなややこしい音楽を「ハラハラせずに聴ける」レベルで演奏してしまうのは、さすがですよね。どうなってんだ……。

鈴木のドイツ・オルガン紀行

バッハ:幻想曲調 BWV572
バッハ:パッサカリアとフーガ BWV582
バッハ:パストラーレ BWV590


オルガン:鈴木雅明


2017年2月 フライベルク大聖堂・アンテンブルク城教会(ドイツ)

感想

やっぱり、バッハのオルガンは最高だ……。
バッハの曲って聞いていると、自然に集中力が増す気がするんですよね。すごいジャズチックだと毎回思うのはなんでだろう。

あと、当たり前なのかもですが、場所によってオルガンの音って全然違うんだなぁ。そうだよねぇ。デザインもちがうもんねぇ。興味深いわ。

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