のだめカンタービレ第17巻・千秋先輩指揮のマルレ定演の演目です。
ニールセンという作曲家の名前を聞いたのは初めてだなーなんて思いながら、さっそく買ってみました。
第1次世界大戦中の曲というのもあって、「近代の曲かぁ・・・・・・」なんてあまり期待してなかったんですよ。
そうして聞いてみたらなんとまぁ、カッコイイのなんのって。
wikipediaでは(該当ページはこちら)作曲者自身はデンマーク語で “Det Uudslukkeligge” という副題を与えたが、これは日本語で「消し去り難いもの」「滅ぼし得ぬもの」といった意味である。日本では、その意訳にあたる「不滅」という副題で知られている。とあるけど、「不滅」と「消し去り難いもの」「滅ぼし得ぬもの」ではニュアンスが違うと思うし、「不滅」よりも「消し去り難いもの」「滅ぼし得ぬもの」の法が、意志の強さを感じてこの曲にはぴったりだと思います。
もちろん、この曲がそういうものをあらわしているか、この曲を聞くとそれを感じ取ることができるか?と聞かれると、具体的に、「ここのあのメロディが」とか「ここの響きが」と説明できないんですけども。
この曲にエネルギーを感じますし、口ずさめるようなメロディ(『家路』とかそういうのって、口ずさめますよね)がなくても、「なんか、好き」で強烈に惹かれるのです。
そして、作曲者の気持ちがその題名に込められているということを思い出すと、涙が出そうになります。
最初は、「怒り」なのかなぁと思っていたんです。
全ての生き物は「生」に向かい命を繋いでいくのに、それを滅す「戦争」やそれを行わせる「信念」「権力」というものを持った「人間」・・・・・・いや、人間というより「生」に反させる「意志」に対する怒りなのだなぁと、私なんかは単純に思ってしまうのです。(その「意志」をもつのは「人」なのですが)
それを「生」に一番よく似た「音楽」に託した響きなのかなと、思ったりします。
私は「死」が怖いです。そして、それをもたらすあらゆるもの、特に「人」というよりは「生命としての人」の意義を簡単に奪うあらゆる事象が恐ろしいです。
だから、「生命」に似た「音楽」が好きなのかもしれません。
でも、何度か聞いているうちに「怒り」とか「悲しみ」とかそういうものも関係ないのかなぁと思うようにもなりました。
ただこの音楽のそこに響く「存在」というものが、個々の人の気持ちに沿うことで、いかようにもとれるのかなとも。
今の私に聞こえるこの音楽は、
人のあらゆる感情からくる矮小さと、そこからくる悲しみと怒りを超越した何かであってほしいという願いの先にある響きなのかな。
んー。なんだかよくわからないことを言いましたが、私はこの曲が大好きってことです!
(2007.6.9 記)
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