「のだめカンタービレ」(作:二ノ宮知子)第12巻より。
はじめてシベリウスを聞いたとき、「壮大な自然」の音だと思ったことを思い出す。
あれは第2番ではなくて、第5番を少しだけ耳にしたときだった。そのメロディと響きを聞いただけで、目の前に深い青色をした静かな湖と、霞がかった山の稜線が目に浮かんだ。
シベリウスの作品で一番有名なのは「フィンランディア」だと思う。あれは、人の争いやのちに訪れる平和への喜びなどが含まれているのかもしれないけど、あれにもどこかそういうものを超えた響きを感じてしまう。
そういう、「人」というものを一線越えた(「人の目を通さない自然」というものは実際本当に認識はできないのだけど)自然を感じる。
うーん。・・・美しい自然を目の前にした「喜び」とか「感動」とかを超えた「自然」そのものを感じる。といったほうが、しっくりくるかな?
この第2番でも、そういうものは深く感じられる。
特に第1楽章。冒頭から湖とそこをわたる風と、それによって浮かぶ波紋。白い光のきらめきなどが、自然に頭に浮かんで驚いてしまう。
どちらかというと風景を表した曲といわれたとき、まったくその光景が浮かばない性質なのだけど、「シベリウスは壮大な自然を表した・・・・・・」なんて余計な注釈を見なくても、 それは納得できるし、かえってそんな注釈が、「邪魔だー!」という気分になる。
もう、ゴタゴタと装飾された言葉はいらない。
ただ、そこにある響きを受け止めたい。その響きに包まれていたい。
そう思ってしまうんだなぁ。シベリウスってばさ。
(2005.9.25 記)
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